蜜蜂と遠雷 感想
近所の本屋に行ったら、菜の花畑のような油絵風の表紙の分厚い本が平積みになっていました。
表紙のかわいさにつられて手に取ると、恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」でした。

ポップに本屋大賞&直木賞W受賞、とか、本屋さんが一番売りたい本とか、いろいろ書いてあります。
ああ、そういえば、そういうニュース見たかも…。

表紙が好みだったというだけの理由で思わず手に取ってしまったのですけど、せっかくなので読んでみることに。
個人的に恩田陸さんの本はあまり得意ではなくて、前に読んでる最中に眠くなって放り出してしまった経験ありです。

実際に読んでみてどうだったのかというのを一言で言うと、「おもしろかった」。私は、とても好きだと思いました。
その感想を、これから読む人にネタバレしない様に気を付けつつ、綴っておきます。

蜜蜂と遠雷について ざっくりと

「蜜蜂と遠雷」は、芳ヶ江という音楽の盛んな街で行われているピアノの国際コンクールを舞台にした青春群像小説です。

コンテスタントとその周辺の人々審査員1人1人の視点に立った描写やモノローグ(独白)で物語はすすんでいきます。

登場人物は、

養蜂家の父とともに自宅にピアノを持たない少年・風間塵16歳。
天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら、13歳の時の母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなくなかった栄伝亜夜20歳。
音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンで妻子もおりコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。
完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳

特に全くの無名、ピアノすら持っていない、養蜂家の息子「カザマジン」。
彼はとてつもない才能の持ち主であり、いわゆる、世界の音楽教育とは全くの規格外。

彼がキーになって、物語がぐるぐると高いところへ高い所へと昇って行きます。

この4人を中心として、コンクールのエントリーから、1次、2次、3次予選と本選のピアノコンツェルトまでのコンクールの全日程を描き切っていくわけです。
誰が優勝するのか、どんなドラマが待っているのか、そこも推理小説のような楽しさもあり、ただただ、コンクールを体感して一緒にはらはらしたりと、楽しみしつつ読み進めました。

モデルとなったのは、浜松国際ピアノコンクールで、
音楽の街、浜松市を芳ヶ江という架空の地名に替えて描かれてます。

でも、物語の中に「うなぎを食べに行く」と話し合う場面やら、海に出たら風が超絶凄かった、というような場面があり、思わず「まんま浜松じゃん!」とツッコんだんですけど。

蜜蜂と遠雷 [ 恩田陸 ]


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蜜蜂と遠雷 読み進めていきながらの感想

これから読む人に、ネタバレにならない様に、私自身が感じたことをまとめて行きます。

全体を通してまるでその場にいるような臨場感がありました。
100人近いコンテスタントからいきなり24人に絞る1次予選。

そこを、この人たちが通過するのか?はたまた、やっぱり駄目だったとなるのか。

誰がこのコンクールで栄光をつかむのだろう、掴んだ後どうしていくのだろう。
そのハラハラ感がたまらなかったです。

そして、風間塵。
彼のとんでもない才能に出会った時の審査員の憤りと困惑、マサルや亜夜たちの衝撃、観客たちの熱狂。
すっかり巻き込まれて、手に汗握って読みました。

1次予選、2次予選、3次予選と進んでいくのですけれど、結果発表の段階はなんかドキドキするわけです。
最後の「本選」の文字を読んだ瞬間なぜか思わず「面白い…」とつぶやいていました。

これは、何かの片手間では読みたくない。
これは、居住まいを正してこのコンクールの行方を一緒に体感しなくちゃ損だと思ったんです。

こういう天才に出会いたい。
聞いて心が震える、泣ける演奏を聴きたい。

と心底思いました。

ちなみに、わたしは自分でピアノもちょっと弾くし、アマチュアの管楽器奏者でもあるけど、クラシックに精通しているかというと、
ぜーんぜん

そこに書かれた曲名を見て、あ、あれね、と見当をつけたり、メロディが流れたりということはあまりなかったんです。
それでも。曲がわからないにもかかわらず、描写を読みながら演奏が聞こえる気がしたし、同じように感動しちゃうのが不思議。

これが、文学のなせる技かな。

あらかじめ曲を聴いてから本を読むというのも、ありなのかもしれません。
それぞれの曲の描写の表現するところがよくわかって、違った味わいになるのでは。

曲を聴いてみたい!という方には、幻冬舎のスペシャルページに音源へのリンクが載っていました。
さわりの部分だけでも無料視聴できるみたいですよ。
 直木賞&本屋大賞 W受賞!恩田陸『蜜蜂と遠雷』<特設ページ> – 幻冬舎plus

脳みそが疲れるのか、高揚感を感じてるためか、読後むしょうにあまいものがたべたくなって
紅茶を入れてお菓子の箱からブルボンのルマンドを持って来てむさぼり食べてしまったほど、なんか、いろいろ考えてしまいました。

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生活者としての音楽…高島明石に共鳴

ここからはコンテスタントひとりひとりに思いをはせて…。

高島明石は、音大を出ていながらも音楽家としての道ではなく、楽器店の店員をしていて、理科の先生の奥さんと娘と暮らす普通のサラリーマン。
だけど、年齢制限ギリギリながら、コンクールに出てみようと思い立ち、練習に練習を重ねて参加するわけです。

彼が言った「生活者としての音楽は音楽を生業とする者より劣るのだろうか」という言葉に、妙に共感してしまいました。
年齢を経たからこそにじみ出る深みと優しさとなるし、暮らしがあるからこそ、音楽を生業としている人とは違うアプローチがあるだろう。

真剣に音楽に向き合うということでは劣ることはないし、音楽性も否定できない。
思いが乗った演奏が出来ることだってあるはず。

終盤の明石の喜びの瞬間には、思わずジーンと涙が出てしまいました。
明石くん、よかったねぇ~と。

風間塵の天真爛漫さと深さに泣ける

蜜蜂王子という異名(?)を持つ風間塵。
本来なら、ピアノがないのに、コンクールに出るほどの腕前に進化するとかありえないはず…。
なのに、そこに現れてしまったカザマジンという爆弾。

この子何者なの?って、審査員も観客も度肝を抜かれるし、賛否両論が巻き起こってしまう。
とにかく感情を揺さぶらずにはいられない、とんでもないピアノを弾くんですよ。

だけど、風間塵は、無邪気だし、天真爛漫すぎるし、どこか抜けてて、だけどたまにその言葉にハッとしたり。
予測不可能なんだけど、その純粋さとちょっと残酷な感じに、心を動かされずにはいられない存在でした。

別に泣けるところじゃないはずなのに、塵くんのピアノの部分で思わず涙がじわっと出てきてしまうんです。
心が温かくなるし、癒されるというか…。

栄伝亜夜 復活なるか?よりも一人の女の子として

母の死によって突如演奏活動を止めてしまった栄伝亜夜が、
このコンクールに登場する。

世間としては、これほどに興味津々なことってないですよね。

人々の好奇に満ちた目、悪意はないけど厳しい評価。
それに触れてしまった時の亜夜の混乱と悲しみを想像して、胸が痛みました。

1人の女の子として、お母さんを亡くしてから今まで、
考えない様にしてきたというか、

きっと、はっきりと向き合いきれてない部分があったと思う。

コンクールに出ることで、自分自身と向き合って、
他人ともしっかりとかかわって、どんどん人として進化していく様。

天才の復活劇というよりは、
一人の女の子として亜夜がすべてを受け入れられるようになっていく過程が感動的でした。

常識人としてのマサルもやっぱり浮世離れ

塵や亜夜と比べて、普通の常識人的な感覚を持っているマサル。

その複雑なルーツがそうさせたのかなーなんて。
明るく紳士的な振る舞いをするし、いつも冷静。

音楽を愛していて、それでいてちゃんと将来の野望も持っている。

こういう人もまた、塵とは違う場所での天才って言うんだろうなー。
華やかでありつつ、魅力たっぷりなその演奏。

すごく聞いてみたかった。
特に、リストのピアノソナタ ロ短調。

それなのに、亜夜のことを、アーちゃんと呼び続けるところはなんともかわいい笑

蜜蜂と遠雷は実写やアニメにしたら大変そう

蜜蜂と遠雷を読んでいると、コンテスタントたちの演奏の描写に何度も何度もドキドキしました。
目の前に、その様子がくっきり見えるような気がしたほどに。

夢中になって読んでしまいました。

これはうっかり、実写やアニメにしないほうがいいな、とも思ったんですよ。
ピアノの弾き方はやっぱり専門にやってる人じゃないと違和感ありありですよね。

ちょっとまえに映画化された作品でも、あるイケメン俳優が天才的にピアノを弾ける?役をやってましたが、
やっぱり、動きがまったくもっておかしかったんですよ。。

いや、ピアノが天才的にうまい人はそういう風に体がゆれるはずがないぞよ…とね。
おかげで興ざめしちゃって、まともに物語が入ってこなくなってしまいました。。

亜夜や塵、マサルのあの演奏の描写を本当のピアノの音として実際に聞いたみたい気もするけど、それを動きとして違和感なく演じるのはやっぱり難しそう。
音もどうやって再現するのかとか、いろいろ考えてしまいました。

音楽は技術だけではなくて、才能だけでもないはず

それにしても、うちのまわりにも小さい頃からピアノを習ってて
お母さんと二人三脚で葛藤しながら大きくなってる子は大勢います。

あんな風にピアノ教室に小さい頃から通って 涙ぐましい努力をしてても、
天賦の才能の前にはなすすべない、ものなのかなーとか思って、ちょっとむなしくもなりました。

理路整然とした正しい演奏が出来るのも大事。
でも、心を打つ演奏は、技術の高さだけではない。

ピアノの発表会でもお利口さんに上手な子はいっぱいいるけど、そういうんじゃないんですよね。
思わず見てしまう演奏はやっぱりすごいな、と思う。

天才というのは本当にいるんだろう。
スタート地点が違うというか。。

取り出すものが違うというか。

最後に

どうにもこうにも取りとめのなさすぎる感想になってしまいました…。
つまり、私としては、蜜蜂と遠雷は、夢中になって、先が読みたくて、居住まいを正して体験したいと思うほど、好きな作品だったよ、というのが結論です。

音楽に縁がない人が読んだらつまらない、ということもないはず。
なんというか。。コンクールって、そこに参加するコンテスタントだけじゃなくってさまざまな人たちが集まる場所であり。

あの熱狂を体感するのは悪くないです。なかなか、そういう機会がないからこそ読むというのもありじゃないかなあ。

まだ1回しか読んでないので、本質的なところを、恩田陸さんが伝えんとしたことを的確につかんでるともいえないし。
プロの書評家じゃないので、この作品がどうよかったとか良くなかったとか、うまい言葉が見つからないというのが正直なところです。

一言で言えば、読んでみて、良かったなと思っています。

追記:2017/10/03

5か月ぶりに蜜蜂と遠雷、読みました。
本棚に並べてあってふと、目に留まったんです。

あの感動をもう一度…ではないですけども(^^)

今回は、曲を検索して聞きながら読んだりもしました。

文章で想像して楽しんでいた時とはまた違って、
曲の描写の理由がすごくよくわかり、味わい深かったです。

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